【漫画ネタバレ感想】幽麗塔

この記事には漫画「幽麗塔」のネタバレが含まれます。

人に理解されないコンプレックス、社会が生み出した既成概念によるカテゴライズ、大多数の人とは違うマイノリティ…全体的にかなり暗く残虐なシーンが多いですが、たった一人でも理解してくれる人がいれば「生きやすいさ」は大きく変わるのではないか、という現代社会そして未来に問いかけるメッセージ性の強さに圧倒される漫画です。

乃木坂太郎作品「幽麗塔」あらすじ

戦後の混乱が治まってきた神戸。ニートの天野太一はひょんな事から容姿端麗なテツオと出会う。大胆不敵、頭脳明晰なテツオに時計塔の「宝探し」に誘われ、半世捨て人のような生活を送っていた天野は、大金を手に入れかつての憧れのマドンナ花園さんを振り向かすためにこの話に乗る。

完璧超人にみえるテツオには大きな秘密があって…ミステリー・サスペンスな展開とマイノリティとして生きる人々にスポットライトをあて、今現在の社会が抱える問題に切り込んでいく作品です。

現代にも通ずるテーマを圧倒的画力で描ききった大作

「医龍」の作画担当で有名な乃木坂太郎先生の作品「幽麗塔」

画力が凄まじい漫画家さんなので、一コマ一コマが独立したイラストレーションとして成り立つレベルに描き込まれており、物語の重厚さと相まって非常に読み応えがありました。

ミステリー・ホラーなテイストで物語は進み時計塔で起きた事件から点と点がどんどん繋がっていく展開もさることながら、この漫画のメインテーマであろう「ジェンダーおよびマイノリティ」に関する読者への問題提起とメッセージ性の強さは圧巻でした。

全9巻ですが内容がぎっしり詰まっているので、20巻分くらいの漫画を読んだ気分になれます。

現実に起きた出来事とフィクションの絡みが絶妙!

この漫画の時代背景は昭和29年。物語のなかには当時の出来事や流行ったもの…阪神大水害、映画ゴジラ公開、朝鮮帰還事業、妖怪「件」、寿産院事件、東京タワーの完成…

昭和に起きた事件・サブカルチャー・伝承が物語に丁寧に組み込まれていて、登場人物もどこからどこまでが架空なのかわからなくなるほど説得力がありました。

「ベルサイユのばら」と同じく架空と現実が複雑に絡み合って、物語にどんどんひきこまれ昭和のきな臭いどさくさに紛れて本当にこういう話があったのではないか、という臨場感がありました。

テツオ&天野コンビの冒険譚が楽しい!

この漫画の主人公の一人テツオは容姿端麗、頭の回転も早くて頼りになる青年、もうひとりの天野は無職で友達もおらず人生を諦めてしまっているような節がある青年です。

テツオが漫画的なのに対し天野は現実味のあるキャラクター、相反する二人が織りなす冒険譚はテツオの非現実的なかっこ良さと読者が共感できる天野のバランスが素晴らしかったです。

物語終盤には完全無欠にみえたテツオのコンプレックスまみれの弱さと脆さ、いつも守られて自分の意見がなかった天野の柔軟な強さと優しさで立場は逆転し、新しい社会を作っていこうと目標を掲げる天野の姿は、社会から落ちこぼれ目標もなく生きていたころから想像が出来ないものです。

社長となって忙しい日々を過ごす天野が自宅で、テツオと過ごした日々を回想するシーンは読者がこの漫画の終わることへの寂しさと重なります。もう死番虫に命を狙われることも指名手配されて逃げ回ることもなく、社会的地位を手に入れ貧困から抜け出し平穏を手にしたのにどこかでテツオと過ごした日々を懐かしく思う姿は天野のいう物語の終焉に近づくにつれ少しづつ色あせていくような感覚がありました。

プレイ時間が長いゲームの終わりに寂しくなることは結構ありますが、漫画でこういう感覚になった事はあまりないので驚きました。

女の子の遊びと男の子の遊び

女の子達が一緒になって遊んでいる横で、テツオが誰に見せるわけでもなく紙製戦艦三笠を完成させ一人で掲げる子供時代の描写は何とも物悲しい気持ちになりました。子供のときから孤独感や疎外感を感じる場面がたくさんあったんだろうな、と思います。

私が子供の頃、この「ジェンダー別による遊び」の垣根がたまごっちとポケモンの登場により大きく崩れました。「女の子の遊びが好きな男の子、男の子の遊びが好きな女の子は変わってる、恥ずかしい、おかしい」という意識が薄くなり、性別を理由に遊びを決める事が廃れた時代です。

イギリスでも「男の子はサッカーもしくはラグビーが好き」という既成概念が未だに残っており、この2つに興味がないばかりに子供時代辛い思いをした…という知人がいます。

実話を元にしたミュージカル「Everyone talking about Jamie」のパンフレットにも、主人公のジェイミーが一般的に男性サポーターが多いスポーツに興味が持てず父親から暴言をはかれた、とあり今でも性別によって子供が本当に好きな事・やりたい事が出来ない環境が当たり前に存在しているのだと思います。

女の子だからピンク・男の子だからブルーが好きなのが普通、というカテゴライズではなく、好きな色を言える環境と、人が何色が好きでも肯定出来る余裕があればきっと社会全体のギスギスが少し和らぐのになあ…。

女性の権利と生きぐるしさ

1巻目に登場した天野の憧れの女性花園さん。

夜の不気味な時計塔に一人で乗り込み死番虫の手にかかります。一見考えたらずな行動の末起きた悲劇のように見えますが、「男社会で勝ち抜きたい」という一言に彼女の思いと悔しさが凝縮されていると思います。

大きなスクープをとったら自分の仕事は価値があるものだと三村に、男性の手を借りずとも女性は何かを成し遂げることが出来ると、腰掛けで仕事をしているわけじゃないと社内の男性に証明できるかも知れない、彼女が望む将来を勝ち取るための希望をかけた行動だったのかもしれません。

女性が結婚すると仕事を辞めるのが当たり前だった時代、今でもそういう風潮が残っている企業もあると思いますが…やり甲斐を感じ彼女自身が楽しんでいる事を結婚を理由に辞めるのが当たり前の社会で、仕事を続けたいと願う彼女もまたマイノリティです。彼女の存在はジェンダーだけではなく、社会的に「普通」とされている事に馴染めず誰でもいつでもマイノリティの立場に立たされる可能性があることを示唆しているようにも思えました。

花園さんがおかれた環境(母親の手術費がいる、一定の年齢を超えると生き遅れと呼ばれる)、彼女自身の人生を自由に謳歌したい願望を考えると、天野の「お金持ちになった」という発言にすがる気持ちも少しわかるような気がします。

結婚によって母親は手術を受けられる、既婚者として社会的信頼を得る…でも本当にやりたい仕事を辞めてその先の人生を過ごしていくのかと考えると彼女の人生は一体何なんだろう、ともやるせない気持ちになります。今も女であることで理不尽な挫折を強いられている人は多いと思いますが、それを象徴するようなキャラクターです。

また天野とテツオが迷い込んだ集落では女性は子供を作る存在、日本の政治家が発言した「女性は産む機械」を思い出させ、東城の本家では寡婦殉死という因習が描かれています。天野のセリフ「女を何だと思っているのかね…」これも彼が女性として扱われ初めてその生きづらさを感じたからこそのもので、それまでは考えたこともなかったのではないかと思います。

「普通」とは何かを考えさせられる山科と沙都子というキャラクター

2019年現在、性的マイノリティへの理解はまだまだ十分とは言えないものの、幽霊塔の舞台となる昭和29年は今よりもっと認知されず差別の対象だったと思います。

登場人物の大半がセクシャリティ・マイノリティの幽霊塔ですが、そんな中で沙都子さんはストレートの女性です。丸部道九郎に特殊な環境のなかで育てられたとはいえ、この物語のなかではいわゆる世間的にマジョリティに属するキャラクターです。

そんな彼女が山科さんに対して強い拒否反応を起こし暴言を吐いたのは「セクシャル・マイノリティ」が未知の存在で恐怖心からの迫害だったのではないかと思います。今現在の社会が抱えているマイノリティに対する無理解からの迫害と通ずるシーンで心が痛みました。

でもこの2人のやり取りこそがこの漫画が一貫して読者に問いかける「普通とは一体何か」というテーマのコアの部分といえます。

そんな沙都子さんと山科さんは何度も言い争いを重ねながら、生死をかけた時計塔の宝探しを一緒に行動します。財宝を見つけ二人が手を取り合って喜ぶ姿にほっこりした矢先、死番虫に背後から山科さんが撃たれ、最後の力を振り絞って沙都子さんを助けましたが彼は財宝を目前に亡くなります。
身を挺して市民を守った「立派な警官」そこにセクシャリティは関係ありません。

沙都子さんはあれだけ憧れていたテツオのセクシャリティを理解できず苦しむ場面もあります。「生理的に無理」と混乱のなか違いを受け入れることの難しさ、自分がマイノリティの立場になって初めて感じる心細さが痛々しいまでに描写されています。

沙都子さんももし知識さえあれば山科さんに暴言を吐いたり、テツオのセクシャリティに混乱を起こさず、彼らの性をカミングアウトの時点で受け入れることが出来たのかもしれません。

最終巻では喉から手が出るほど欲しかった財宝を手放してでもテツオを救うため、へその緒の秘密を天野に打ち明けます。これは沙都子さんを守った山科さんが彼女の意識を変え、元々の正義感(家政婦さんの息子を救うためテツオを振り払って囮になったりなど)と繋がったのかなと思います。

難解なキャラクター、丸部道九郎

独特の空気をまとった丸部道九郎は厳しい検事で、汚い面も持っていて、かつての恋人にずっと一途で、純粋なまま歪んでしまった非常に解釈が難しいキャラクターです。

「俺は誰のことも変態だと思ったことはないよ。みんな生きることに真正面から向き合っているだけだ。変態なんてどこにもいないよ。」というセリフは、変態という便利な言葉で彼をカテゴライズしようとする読者の気持ちを見透かしているようでした。

テツオのセクシャリティについては肯定的なのに、丸部検事のセクシャリティについては否定的になりそうなときに彼自身のセリフにハッとさせられる事が何度かあって、差別意識というものがいかに簡単に生まれるかを身につまされる思いです。

最終巻の肝である「生きる価値があるかどうかを、一方的に決めつけたくない」というセリフに共感できるのに、自分自身が勝手に誰かの生きる価値を計ってしまう危険性もあるのだと感じました。

一面だけみれば加害者で悪人、でももう一面からみれば被害者で善人…個人の倫理観によって流動的に印象が変わるので、善悪だけで語れない非常に立体的なキャラクターです。

たった一人でも、理解者がいれば人は生きられる

今現在、イギリスの学校ではもちろん日本の学校でもセクシャル・マイノリティに関する教育がされています。これに対して「教育による知識で自分の子供が同性愛者になるかもしれない」という心配の声をあげる保護者がいます。

教育の目的は、自分自身の性と向き合い多種多様な性およびマイノリティが容認される社会を形成していくことのはずです。でもその「同性愛者になるかもしれない」という気持ちは「人と違う事で我が子が辛い思いをするかもしれない」という親心からの心配でもあります。このテーマは多面的で、今過渡期を迎えいろんな軋轢と不安が吹き出している時なのだと思います。

時計塔のなかで山科さんが自身の夢、出版社をつくり文章の力でマイノリティの人権を啓発する事を語る場面があります。小説や漫画が人生に影響を与えることがあるように、暴力ではなく作品によって世界を変えたいというのは作者自身がこの漫画に託した願いのように感じました。

テツオは何やっても超かっこいいし、天野の成長には感心させられるし、山科さんの人間臭さは共感できるし、沙都子さんの逞しさは心強いし、陣羽笛警部の正義感の強さ、丸部検事の歪んだ純粋さはすごく切ない…ここまで多くの登場人物の内面と主張が立体的に描かれている漫画は中々ないと思います。

最後に、ミーハー意見で申し訳ないけどテツオがとにかくカッコいいので読んでくれ!!と思えるくらいテツオが魅力的です。テツオが男でも女でもどっちでもなくても、テツオはテツオだからかっこいい!

性別なんてテツオがテツオであるなら、本人が自認するのでいいじゃないか!私が口出しすることでもないし、テツオのかっこよさは揺るがないのよ!というかんじで、結局人様のセクシャリティやマイノリティよりその人がその人であれば、それで幸せなら一番良いよなあ~とシンプルに前向きになれる作品でした。