リメンバランスデー(Remembrance Day)とポピーの花

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毎年11月11日、この日は戦没者追悼の日リメンバランスデー(Remembrance Day)です。

10月終わりから胸元にポピーの花をつけている人を多く見かけます。ポピーの花は戦没者を追悼する象徴なのです。

それぞれのリメンバランス・デー

多くの人がポピーを胸元に飾りますが、それぞれの思想やルーツがあるのですべての人がリメンバランス・デーに賛同しているわけではありません。そのためポピーの着用を強要されることは稀です。

私のステイ先のイギリス人とスコットランド人も、親族の戦没者を追悼する意味でつける人と、まだ戦争は終わってないしイギリスは加害者側であると考えつけない人がいます。

友人のアイルランド人は歴史を思えばこそ、それを乗り越え未来を作るという気持ちでつけると言い、でも彼女のパートナーはイングランド人だけど戦争を美化することに抵抗があるからつけないと言うカップルもいます。

ここでポピーをつけるかつけないかで争うのであれば、平和を願うリメンバランス・デーの意味って一体…となりますが、リメンバランス・デーに対する感情を押し付けず違う考えや思想を尊重しているのは戦争と歴史へのスタンスが個々で違うということを認識出来ているからです。

寄り添いながら干渉や否定をしないのは個を尊重する文化が根強いのと、人の心の持ちようは非常にセンシティブなものだという意識の結果なのだと思います。

だからこそ、セレブリティや政治家でポピーをつけないことで叩かれているのをみると、信仰を強要できないのと一緒でリメンバランス・デーもそれぞれの心の問題なので何だかなあ…と虚しくなります。

無理強いされた追悼や、他人の追悼を踏みにじる悪意ほど意味がないものはありません。

在英外国人とポピーの花

私は留学生時代と移住当初はポピーをつけていませんでした。

イギリスは好きだけど愛国心やナショナリズムがないので、外国人の私にとってはあまり関係のない日で長らく「エモーショナルなポピーの季節だなあ」程度にしか思っていませんでした。

人々が服につけているポピーは目に見えているし、その裏側のストーリーを知っていても日本人の自分にとってはよその国の事だという意識がどこかにありました。日本とイギリスが敵国同士だったなどの歴史的な理由より、関係ないという意識の方が強かったです。

気分を害する方がいたら申し訳ないですし、こういう無関心さが戦争を引き起こすと解ってはいるものの私にとってリメンバランスデーを感情的に理解するのは中々難しい事でした。

イギリス自体に縁のない外国人のわたしがポピーをつけるのはイギリス人からしたらどうなんだろう…という気持ちもあって、ポピーの花やリメンバランスデーとは縁遠い気持ちで暮らしていました。

ポピーを時々つけるようになった理由

ヨークシャーにあるキングストン・アポン・ハルという小さな街に遊びに行った時に、ハルに住む知り合いのイギリス人に連れられて地元の小さな教会の見学に行きました。

その教会はコミュニティ・スペースもあって紅茶を飲みながら編み物をする人がたくさんいて、皆顔見知りなのか知り合いと談笑していました。

彼女たちは大きなポピーの花をたくさん編んでおり、よく見ると中心部分に名前が刺しゅうされ戦没者の一人ひとりを追悼するために作っているようです。

知り合いは何なら自分も編み物に参加しようかしらって位話し込んでいるし、私は教会を見て回っていましたが小さいのですぐに手持ち無沙汰に。編み物をする人たちをぼんやり眺めて(コミュニケーション下手の弊害)いると「あなた、どこから来たの?」という質問からポツポツ会話が始まりました。

出来上がったポピーの花を縫い合わせてリメンバランスデーに教会で追悼式をするのだと教えてもらいました。

話しているなかで編み物をしている人の中には親族を戦争で亡くした人が多く、逆に親族に犠牲者はいないものの今でも世界中で起こっている戦争が終わる事を願って、このポピーアピールに参加している人もいました。

ポピーの花が傷を抱えた人たちをつなぎ、亡くなった親族のことを話す場を作り出しているのを見て、初めて人々の胸元を飾る小さな赤いが形式的な事ではなく、人によっては心の拠り所であり故人を忘れないためのもの(リメンバランス)だと、この時少し解った気がします。

それと同時に、世代が全く違うイギリス人と日本人がイギリスの片田舎で紅茶を飲みながら談笑出来る時代が来た事に感謝し、まだ戦争は続いていて多くの人が心を痛めているんだということを再認識した出来事でした。

帰りに、遠くからハルに来た思い出に、と手作りの毛糸でできた小さなポピーのバッジを貰いました。それが私が11月にコートにつけているポピーの花です。

自分の温度を保ちながら平和を祈る

私の親族には戦没者はいないし戦争教育と映画や小説でしか戦争を知りません。彼女たちの手から作り出されるポピーに感傷的になって戦争の悲惨さと悲しさをわかった気になっても、本当は何もわかっていないのは自分自身がよく知っています。

亡き人を思い国の決断を憂う彼女たちと同じ温度でポピーの花をつけることはやはり難しいのです。

でもあの時一緒に紅茶を飲んだ人たちと彼らが愛する国と私の母国が喧嘩しなければいいなあ、あわよくば世界から戦争自体なくなって欲しいなあ…という感じでポピーをつけています。

リメンバランスデーに対して温度差があったとしても、それは個々の心の問題であって誰にも関係がないその人だけの事なのでそれで良い事です。ポピーをつける・つけないが自由なように、どの日にどの立場でどのように追悼するかは個々の自由だと思います。

私は私の温度で、日本人としてイギリスの風習を通して平和を考えていきたいです。

スタンスはすこしズレていますが、自分の無関心さに気づき再考するキッカケをくれたポピーの花とハルで出会った方々には感謝しています。貰ったポピーは大事に着用したいです。