詩が生まれマンドリンが聞こえる書斎、萩原朔太郎記念館

「萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち前橋文学館」の前を流れる広瀬川、その川を渡ると「萩原朔太郎記念館」があります。

萩原朔太郎の生家の一部(書斎、離れ屋敷、土蔵)が移築されており、前橋文学館のスタッフさんに頼めば各施設の内部も見ることができます。

前橋文学館と萩原朔太郎記念館は「朔太郎橋」で結ばれていました。

さっそくスタッフさんに付き添われて記念館の見学です。

英語の案内もありました。イギリスのアマゾンで検索したところ、翻訳された「猫町」は販売されてるようです。海外にもファンがいるのかな?

日本語版の案内には、かつての生家の見取り図が描かれておりましたが、とにかく大きなお屋敷だったのがわかります。もともとは文学館から歩いて10分ほどの千代田町にあったそうです。



詩とマンドリンの書斎と、セセッション式ってなんだ?

書斎の外には「猫」の詩が。屋根の上には黒猫のオブジェが2匹並んでいました。詩を読んだときに思い浮かべた光景が、そのまま現実になったようで面白かったです。

猫が二匹がのっているのは書斎。朔太郎はここで「月に吠える」が書き、マンドリンを演奏していたとか。小さな書斎ですが、隠れ家的で離れにこういう空間があるのは良いなと思いました。今だと在宅勤務とかが捗りそうです。

キャプションによると、内部はセセッション式でカーテンなどは三越から購入したものだそうです。

セセッションってなんだ?と思ってググったところ、日本語では「ウィーン分離派」ウィーンで生まれた芸術運動のことのようですが、ザックリいうと「(日本から見た)西洋式」ってことですかね…美術大学で西洋建築史など学んだのに、こういう知識が身についてないのは情けない話です。

いまいち「セセッション」が理解できずもう少し調べると、広島の原爆ドームもセセッション建築の一つだそうです。(参照:アーキウォーク広島

え!原爆ドームってチェコ人の設計なの!?など、今まで知らなかったことを知るキッカケになったセセッション式、いまだに消化できていませんが書斎のなかはこんな感じでした。

かわいい~~~!!!!もうセセッション式が何であってもかわいい~~!絶対的に正義~!

椅子と机は朔太郎がデザインしたもので、これはレプリカですが前橋文学館には本物が飾ってありました。

この椅子は、長時間座るのしんどくないかな?とか色々想像しつつ、多くの光がはいる小さな書斎はとても可愛かったです。

「萩原朔太郎 書斎」で画像検索すると壁紙が何度か張り替えられてるのでしょうか、時々違う壁紙の写真もありました。

萩原朔太郎が、実際にみていた書斎内部と多少違う可能性はありますが、海外への憧れやモダンな意識、自身の美学があって生活していたのだろうなあという事が想像できる書斎でした。



北原白秋も訪れた離れ座敷

セセッション式に振り回された後は、お隣にある離れ座敷へ行ってみました。

来客を接待する離れ座敷、その中には北原白秋や室生犀星もいたそうで、今や歴史に名を遺す人々がかつて交流を持っていたのを想像すると、なんともエモい空間でした。

ここで様々な話に花を咲かせていたときの空気が伝わってくるようです。

余談ですが、私の祖母の福岡の家が築100年近い日本家屋で、中庭には井戸があってガラス窓の廊下にグルっと囲まれていたのを、この離れの縁側(?)をみて思い出しました。

日本家屋がもつ独特の木のにおい、ガラス窓の装飾と古い木に鈍く反射する日光、畳とふすまがつくりだす陰影など、萩原朔太郎の詩を読んだときに感じるノスタルジーというのは、こういう風景を思い起こさせる部分があるのかな、と思いました。

どんなお酒をふるまいながら、史実に残らないどんな話をしてたのか、今では追えない日々を追憶できるような空間でした。



戦火から萩原朔太郎の作品を守った土蔵

2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。

ウクライナの焼け落ちるマンションや空爆の様子と、マスクをつけながら非難するウクライナ人の映像、戦争反対して逮捕されるロシア人の映像など…今でも現在進行形で続くこの戦争の中、この土蔵のことを思い出しました。

1945年8月の伊勢崎空襲で大きな被害が広がったときに、萩原朔太郎の原稿などゆかりの品を守り抜いた土蔵だそうです。

もしこの土蔵がなかったら、萩原朔太郎を知る資料としてのものが色々消滅していたと思うと、戦争は人が生きた証を簡単に消してしまう行為なんだと思いつつ…この空襲で消えていったもの、歴史には残っていないことを考えると気が重くなります。

それが今リアルタイムで起きてて、この土蔵がみた火の雨が今違う国で広がっているのは悲しいことです。

土蔵の中にはなぜか黒板がありました、何かイベントでもやったのかな?過去にはパネル展示などもあったみたいですが、私が行ったときはなかは空っぽでした。

地元でも蔵のあるお屋敷が結構残っていますが、中に入る機会はなかなかないので新鮮でした。多くのノートや資料を守ってくれて、今それが展示されていると思うと感慨深い…。



萩原朔太郎記念館と学生さん

萩原朔太郎の生家にまつわる3つの建築物を見れる萩原朔太郎記念館。2021年3月現在、こちら無料で公開されております…!すごい…!

記念館をでてスタッフさんにお礼をいって別れたあと、下校時刻だったのか地元の中学生(だと思う、高校かな?)が歩いていてこの記念館の前を通っていました。

地元のこういう記念館や前橋文学館は、遠足の行先なのでは…萩原朔太郎の地元で生まれ育つというのはどういう感じなのか…と色々考えておりました。

前橋市はこれまで来たこともないし、これから住むことも多分ないとは思うのですが、萩原朔太郎を通して不思議な親しみと懐かしさを感じる場所です。

まったく関係のない土地と時代から来た人間が、詩を通して前橋市に望郷の思いに似た何かを感じるのは不思議なものですねー。

次は前橋文学館へ行きます!

追記:やっぱり地元の学生さんがうらやましい!!

やはり地元密着型のイベントやってますね、いいなあ~!!!!

しかし私の地元にも文豪がいるのですが、特にありがたみというか…作品は好きなんですが萩原朔太郎ほどの情熱をもって向き合ったことはなく、そういうものなのかなあ地元の偉人というのは…

萩原朔太郎も地元の人だったら身近すぎて興味がなかったかもしれない…とおもうと…色々複雑な思いを感じつつ、でもやっぱり前橋市の学生さん羨ましい~!この展覧会見に行きたかったなあ…。

萩原朔太郎記念館

〒371-0016
群馬県前橋市城東町一丁目2-19