ブルースクリーンで崩壊する、デザイナーの自己肯定力の正体

クリスマス前に会社のパソコンに、泣く子も黙るブルースクリーンの登場です。終わったー!

この恐怖の青がでると大体もうダメです。今年の業務終了です、お疲れ様でした~。新しく買ってもらったウィンドウズ10、享年6か月。

たった半年でパソコンが御釈迦になったのには心当たりがあって、いろんな仕事を同時進行させるついでに実験の映像や画像を合間に作っているため制作系ソフトウェアを同時立ち上げ、裏でレンダリング作業を実行したりと、結構負担があったのではないかと思います。

スペックそんなに高くなかったしな、でも壊れることないじゃんね~という感じなのですが、パソコンを失ったデザイナーがオフィスでできることってあまりありません。

机の片づけをしたり、(自分用の)お茶を作ったり、オフィスをうろついたり、お茶を作ったり、書類を折ってみたり、お茶を作ったり、隣のオフィスの社員としゃべったり、お茶を作ったり、アトリウムで寝たり、お茶を作ったり…ぐらいしか出来ることがないのです。

これは間違いなく給料泥棒。

「ラッキーこれは会社の責任、サボれるぜ」と最初思ったのですが、サボるべきでない環境のなかでサボるのが楽しいのであって、サボれる中サボっても左程楽しくないものです。

背徳感を伴うサボりに比べ、消去法でサボるのでは得れる幸福度に差があるものですね。サボりの美学。

こういう時に「自発的に仕事を見つける社員」が社会的に求められる像だと予測しますが、マジでパソコンがないと出来る事ないので自発的にオフィスを彷徨い続けるしかなく、地縛霊の気持ちが少し理解できました。必要とされていないのにそこに縛られているのは、つらい。

ここで電話をとったり、ほかの業務を少しでも出来たらいいのですが顧客を失う未来しか見えません。会社も私がそういう事に携わるとなったら泣いて止めると思います。

 

ところで、この自分が「できることがない環境」というのは精神的にもあまり良くないことが確認できました。

私の場合は仕事と遊びに境界線がない(デザイン業=遊び=仕事)ので毎日会社に遊びに行っているようなものです。その環境が崩れた事でなぜオフィスにいるかの理由付けが出来なくなりました。

大学生のころからブラック企業問題が社会的に問題になり「労働とはつらく退屈なもの」という刷り込みにより、今までデザイン業で制御されていた社会への恐怖心が表面化したというか…。

これは自分の自己肯定力の根源およびモチベーション維持の源泉がクリエイティブ性に依存している結果なのだと思います。

宇宙兄弟の言葉を借りると「テンションのあがらねえことに パワー使ってる場合じゃねえ」という精神の専門職の方は多いと思いますが、パワーが一点集中すぎて精神的なコントロールを損なうとは!

ブルースクリーンによって今まで知らなかった、自分の精神的に弱い部分を把握できたのはよかったです。これを考えるとパワーをもう少し分散させる必要があるのかもしれません。

応急処置としてクロームブックを引っ張り出し、クローム上で出来ることをやろうと思ってたのですがいつもの複数の仕事同時進行(ちょっとづつつまみ食いするから飽きない)が出来ないので、テンポを掴めずこちらも失敗。(同じ理由でラフ案スケッチも「スケッチ描きおこしができない!」とリズムを崩して挫折)

パソコンもクリスマス手前に来て「もう休んでもいいよね…」と軽く休むつもりがそのまま永眠したのかもしれません。大打撃ですよ。

 

そしてIT課からは御釈迦具合が結構深刻で吸い出しは可能だけどHDはもう使えない、という返事が返ってきました…普段「ウィンドウズやっぱり苦手!」と悪口ばかりいってたパソコンがなくなって初めて大切さがわかりました。やっぱりMacBook Proが欲しいなあ~。

追記:その後、応急処置的にセットアップされたパソコンが前よりスペックが落ちてしまったのでまた近い将来ブルースクリーンをみる予感…。

追記2:2台目も壊してしまいました…。

HELLO AGAIN!ブルースクリーンの恐怖と箱の外の世界